侠客記・山妻編
璃月より北の絶雲の間は常に雲や霧に包まれている。薬草採りの間では仙人や神奇にまつわる幾多の伝説が伝わっていた。
遠い昔、谷という薬商人が薬草の分布を考察するために絶雲の間に入ったところ、四、五人の賊に後をつけられた。その晩、銭谷がくつろいでいるところを山賊に襲われ、金銭を奪われた挙句、縛られて谷に捨てられる。
真夜中、商人は目覚めた。彼は必死に足掻き、大声で助けを求めたが、絶雲の間の山谷は応じてくれなかった。深い森に、彼の悲鳴だけが彷徨い、夜行の鳥を驚かす。
銭谷が途方に暮れ、呻き声をあげている時、夜泉の泣き声と山風の音に紛れ、ある旅れた声が聞こえてきた。
「起きろ!」
「無理だ!」と彼は悲鳴をあげ、夜行の狐を驚かせた。しかし、彼がもがいているうちに、手足を縛る縄は緩んでいった。
商人は立ち上がり、お礼をしようとした時、また声が聞こえた。
「山を登りたまえ」
銭谷はつづら折りの山道を辿って山頂まで登った。東の空はもう白くなっている。
山頂で、石店の外に頭を出している曲がりくねった枯松が目に入った。そして、先刻の賊人たちがそこに縛られ、その重さに耐えきれない松がぎしぎしと音を立てている。
その隣にある怪石に、最も最も真っ白な老人が座っていた。うろたえる銭谷を見るなり、老人は大声で笑い出し、賊に奪われた金銭を全部銭谷に返した。
銭谷の問い掛けに対し、老人は山中に暮らす人で、住む場所も眠る場所も定まらないという。商人は何度もお礼をしたが、老人は一笑に付した。結局、銭谷の厚意に敵わず、老人は一枚のモラだけを受け取り、銭谷の娘の婚儀に出席する際のお祝い金として使うと約束した。
災い転じて福となしたのか、銭谷の薬屋は徐々に繁盛した。鉄谷も鴉月港で名の知られた高商となった。話によると、立身出世した銭谷は、再び絶雲の間に赴き、命の恩人を探しに行ったが、見つかったのはボロボロのテントと古い酒の瓶だけだった。
瑞光の浜でこの老人が採掘人の姿をして絶壁を闊歩するところを見た人がいれば、老人が漁師であり、船から落ちて溺れる人を救っていたという人もいる。噂は様々だが、誰一人として老人の素性を知らなかった。
残念なことに、銭谷はもう歳を取ったが、娘はまだ婚姻を結んでいない。どうやら、山の老人が婚儀の宴に出席するのはまだまだ先のようだ。
収集場所:軽策荘の六から入手